人生リフォームブログ『ライフリフォーマー』

「美味しい」という表現は時と場所、そして比較対象によって変化する

2016 11 24 ph 0245

自分はアイスがと〜っても大好きで、ほぼ毎日1個以上は食べてる。

食べたアイスが美味しかった場合や、世間で少しでも話題になってるようなアイスは、ブログの記事として紹介するようにしてる。もちろん好きでやってる。

誰に頼まれたわけでもないので、自分の素直な感想を書けば良いんだけど、そもそもそんなに美味しいと思わなかったアイスは記事にもしていないので、結果的に紹介するアイスのネタアイス以外は全部美味しいってことになる。

何にも間違ったことは言ってないんだけど、毎回毎回「美味しい」っていってる自分に疑問がわいてきた。

「美味しい」って言葉があまりに軽過ぎはしないか?安売りし過ぎなんじゃないか?

結果から言ってしまうと、自分は決して「美味しい」の安売りはしていない。「美味しい」って言葉を軽くも考えていない。

美味しいって表現方法を多用するから安売りしてるように思ってしまったわけで、違う表現方法を使っていけば良いのではないか?とも思った。

例えば。。。。。。。。。。。。

出てこない。

やっぱり美味しいものは美味しいんだ!違う表現方法があるわけじゃない。

「美味しい」と同じ意味では「旨い」って表現方法があるけど、これは対象となる物が違う。お酒やお鮨、上質なワインなんかを食べたり飲んだりした時に使う言葉だと思ってる。

どこかで言われたり書いてあったわけではないんだけど、自分の直感でそういった使い分けをしてる。だからアイスを食べて「旨い」って表現にはならない。

もし今の日本で販売されている大半のアイスが美味しくなければこんなことで悩むことはないのだが、幸か不幸か日本ではほとんどのアイスが美味しい。それもかなり美味しい。

食べるアイスのほとんどが美味しくて、それを「美味しい」って言ってるんだから悩むことではないのだけれど、やはりアイスを食べて記事を書いている以上、少しでもそれぞれ違うアイス特有の美味しさを伝えたいと思っている。

そんなことを悩みながらアイスを食べて記事を書いていたのだが、つい先日あることに気がついた。それは色んなアイスを食べてることで、今まで美味しいと思って食べていたアイスがそこまで美味しいと感じなくなってきたってこと

具のない塩むすびだってお腹が空いていればスゴく美味しく感じるが、一切れ1万円のステーキだってお腹いっぱいの時に食べたらそんなに美味しくは感じないはずだ。

結婚前に彼女の両親と食べた中華料理はとても高級な料理だったけど、味なんか全くしなかった。緊張は味覚を完全に麻痺させてしまうようだ。

逆に昔から仲の良い友達と安い居酒屋で食べる料理は、たいがい何でも美味しく感じる。

話がだいぶそれたけど、美味しいって感覚は時と場所によって変わってくるってことなんだと思う。

それともう一つ同じような物を食べた時、それはつまり比較対象がある時には、その似た物よりも美味しいか美味しくないかの判断をしてしまう

だから普段だったら美味しいアイスでも、あのアイスに似ているけどそれよりも劣るからそこまで美味しく感じないってことになっちゃうんだよね。

良いか悪いかなんて話じゃないんだけど、味覚ってそれだけいい加減で曖昧なんだなって思った。

いい加減は良い加減なのか、どうでもいい加減なのかはわからないけどね。

それでもドキドキしながら食べる最初の一口は、いつでも最高の気分にさせてくれる。だからアイスはやめられない。

難しいこと考えても、美味しいアイスがそれ以上美味しくなるわけでもないし、マズくなるわけでもない。

だからこれからも素直に「美味しい」と伝えよう