映画やテレビで「家族が1番大切なんだ!」みたいな言葉をよく聞くのですが、ぼくはこの言葉に違和感しか感じないのです。
家族が1番大切って、それはなぜなのかな?なぜ1番なのかな?
家族を大切にするのはとても当たり前の事だとぼくも思うんだけどね。
1番て言うのがシックリこないんだよね。
あなたの大切な人は家族だけ?
ぼくは去年結婚をして家族が増えました。さらにありがたいことに今年また1人増えそうです。
今までは自分の親・兄弟を家族と呼んでいましたが、今ではぼくの嫁さん、嫁さんの家族も自分の家族として呼んでいます。
ぼくを産んでくれて、ここまで育ててくれた両親には本当に感謝しています。自分が家族を持つようになって余計に感謝するようになりました。
嫁さんの家族もぼくを本当の家族のように大切にしてくれています。感謝しきれないほどです。
こんな事を言っておいてなんですが、ぼくが今こうして元気にブログを書けているのは、家族のおかげだけではありません。
36年間生きてきて、たくさんの人に助けられてここまでやってこれました。
特に静岡にいる親友であり、命の恩人であるF君、M君のおかげで生きていると言っても過言ではありません。
高校3年生の夏
ぼくは放課後、友達2人と学校近くの海に遊びに行きました。
海水浴をしてはいけない場所なのをわかっていて、そこで泳いだりして遊んでいました。遊んでいるのはぼく達だけではなく、少し離れた所には高校の同級生や後輩もいました。
その日はとても波が高く、潮の引きも早くいつもとは違うな〜って感じてはいましたが、みんないるから大丈夫って思って海を甘くみてたんです。後で聞いたら台風が来ていた影響でした。
最後にもう一度泳ごうと言って、ぼくは少し遠くの沖まで泳いでいきました。
一緒に泳いでいた友達は「危ないからもう戻ろう!」と言ったのですが、ぼくは「まだまだ大丈夫だよ!根性なしだな〜」なんて言ってすぐには戻りませんでした。それが大きな間違いだったのです。
友達が戻ってからすぐに、ぼくは自分の置かれてる状況がヤバイことに気づきました。どんどんと沖に流されているのです。
ヤバイと思って必死に泳いでも、潮の引きが強くて全然浜に戻れません。いくら必死に泳いでもダメなのです。
そのうち泳ぎ疲れたぼくは戻ることを諦めました。
泳ぐことを諦めたぼくは海に沈んでいき、「あ〜 こんな感じでぼくは人生を終えるんだな・・・」と簡単に人生を諦めました。
しかし!!諦めたつもりでも息が苦しいのに耐え切れず、ぼくはまた泳ぎ出したのです。人生を諦めるよりも、息が苦しい事に耐え切れませんでした。
しかし泳いでも浜に戻る事は出来ません。立泳ぎをしているのが精一杯です。
ぼくはこの状況においてもなぜかわかりませんが、割りと落ち着いていました。なぜ冷静でいられたのかは、今でもわかりません。
冷静なぼくは考えました。このまま立泳ぎを続けたらどこまで流されるのだろうか?駿河湾だから伊豆まで行っちゃうのかな?って本気で考えてました。
すると「お〜〜い!!」とぼくを呼ぶ大きな声が聞こえたのです。そう、それが親友のF君です。
F君の呼びかけにぼくは必死に応えました!「助けてくれ〜!!」とさっきまで諦めていたのに、今は必死に助けを呼んでいるのです。
F君は自分の身が危ないのも顧みず、浜から離れたテトラポットまで来てくれました。そしてそこまで何とか自分も泳いでいき、引き上げてもらう事が出来たのです。
そこにはF君とは違って、泳ぎが苦手なM君も来てくれていました。かなり怖かっただろうに、こんなぼくのために身を投げだして助けてくれたのです。
大切なのは家族だけではないから
ぼくには命を助けてくれた友達がいるのです。高校3年生の夏のことだけなく、ぼくが生きるのに疲れてしまった時などに助けてくれた友達もいます。肉体的だけでなく、精神的にも命の恩人がいるのです。
ぼく言いたいのは、家族はもちろん大切なんだけど、自分の身を投げだしても助けたいと思う人は家族だけでなく、友達にもいるという事。
だから『1番』なんて順番を付けなくていいんじゃないの?