ぼくは今年『50冊の本を読む』という目標を立てた。
これは2015年に41冊、2016年には37冊しか読めなかったので、50冊という数を目標にした。
でも、そもそも本を読むのに【目標を立てる】ってことに疑問を感じてしまった。
なぜなら、本は調べたい物、知りたい事、疑問に対する答えなどを求めて読むことが多く、時には娯楽として小説などを読むことがある。
つまりこれらは、【読書】ということが目的にはなっておらず、それぞれ目的があって【読書】している。
いつから【読書】を目的とするようになってしまったのだろうか?また、それはなぜなのか?初心を思い返すべく考えてみた。
なぜ本を読むのか?
本を読む理由
本を読む理由としては先ほど言った、調べたい物、知りたい事、疑問に対する答えなどを求めて読んだり、娯楽としてワクワクしたり、ドキドキしたりするために読んだりもする。
ぼくは昆虫が好きなので、たまに図鑑や写真集を観たりもするが、これは完全に【読む】ではなく【観る】だから、【読書】とは違うかな。
これだけが【読書】の理由だとすれば、調べたいものもなく、知りたい事もなく、疑問もなく、本で楽しみたいと思わなければ、【読書】はしなくてもよいことになる。
でもよく考えると、今言った本を読むべき理由は、今だけを意識していることに気がついた。
未来のために
【読書】が今だけのものでないと考えた場合には、本を読むべき理由がたくさん出てきた。
- この先の経済を出来る限り予測するために、経済の本を読む
- 初めて体験している育児に対して、予備知識として本を読んでおく
- いつかブログネタとして使えるかもしれないから読んでおく
- いつか今とは違う仕事をするかもしれないから、その時のために知識を増やしておく
- いつか今以上にカメラを使うかもしれないから、カメラの勉強をするために本を読んでおく
こうやって未来のことを考えたら、本を読んでおくべき理由なんてたくさん出てきた。
特にぼくはこのブログを書いているから、言葉を覚える、語彙力をつけるためにも、読書は必要不可欠なんです。
まとめ
本を読むことに対して、今まで一度も疑問に思ったことなんてなかったのですが、ふとした瞬間になんでおれはこんなにも必死になって本を読んでるんだろう?って考えちゃったんですよね。
それって【読書】を楽しめていない証拠で、楽しめている時にはこんなこと考えないですから。
たまに読んでツマラナイ本が続いてしまうと、楽しくなくなっちゃったりするんです。
未来の自分のために【読書】をするのも、楽しく読み続けるためにほんの少しの工夫が必要みたいです。
どんな工夫が必要なのかは、これからゆっくり考えてみます。
今回みたいに、当たり前過ぎて忘れそうなことは、こうやって記事にして書き留めておくのも良いもんだなって思った次第です。
たま〜にネガティブ思考になるぱすも(@jpasmo)でした! 最後まで読んでくれてMahalo…(`・ω・´)ゞ